【yumeziの遺言】調和について…


yumeziです。

 

よく生きていると、
調和という「テーマ」を考えさせられる事があります。

 

分かち合う
理解し合う
判ってもらいたい

 

それらのテーマに沿い…
真面目な方は、一生懸命に取り組もうとします。

 

それが、間違いであるとか
ダメだとか…
不自然だとか…
今日はそう言った類のお話がしたい訳ではありません。

 

クレバーに生きる。

 

この世は、日々の生活だけにぼやけた眼鏡で焦点をあてますと…
もどかしくもあり、
時には華やかさ、そう、ほんの一瞬だけ
「幸せーー」と感じる「隙」があります。

 

ハッキリ言ってしまいますが、
「頑張る事」などないのです。
そして、良い事をしたら良き戻り、
即ち代償が降り注いでくるなど全くありません。

 

ないのです。
だから、早急に、馬鹿馬鹿しいその良妻賢母精神やら、使命感やら、重い重い「頑張り」の罠から足を外しましょう。

 

周りを見渡したらよくわかりますよ。
どの人から見ても、壮絶に頑張っている人。
その人は幸せそうに見えますか?
あまり見えない筈です。
頑張るという事は=取り越し苦労
頑を張るのですからw
そりゃー。キツイを通り越し「苦労」以外のなにものでもないのです。

 

こうして、調和なり、成果を目指すあまり、
「苦労」を好むのが「趣味」になっている方を沢山見ます。

 

もう一度言いましょう。
クレバーに生きる。
そして、調和は調和を手に入れたら
心音が停止したと同じですw

 

ほら、ピッピッピッ
ぴーーーー
御愁傷様です。
アレと同じ。

 

はい、アレこそが手に入れた「調和」と比喩として、こちらにて訴えたとしてもですよ?
けして、過言ではありません。

 

では、日々の生活から生まれてくる
問題やら、障害に対し、どの様なスタンスが
バランスが良く、クレバーといえるのか?

 

調和を手に入れ様と頑張るのではなく、
調和は手に入れられないと認め、
分かち合いきる事など(完成形)無いのだ、完了する事など無いのだと諦め、頑張らない事です。

 

上記の経緯を
「調和を図る」というのです。
調和とは、手にしたいと貪るのではなく、
図るその経緯を楽しむものです。

 

粋な仕組みなんですね。
目指せば目指す程、
積み上げ、走り抜き、
意識は過去や未来に飛び
「瞬間を生きる」良くありがちなスピスピワードから程遠いスタイルと形成されて行く。

 

学びたいと思った瞬間に学びは遠のき
手に入れたいと思った瞬間に不手際が舞い込み
成就したいと思ったら、失恋が到来し、

 

本当に、素直がバカを見るとはこの事。

 

調和は図るものであり、
未来や過去に飛ばず
ただただ、バランスを取るのみです。

 

調和を図りたいと意図した瞬間、それは
無意味で皮肉な未来に我が身と現象を置く事となるのです。

 

 

難しいですか?
いや、少し頭を回転し、深呼吸したら
バタバタしたマインドは止まります。

 

冷静に思い出してみましょう。
頑張ってきた自分を。
どれほどの「幸」がありましたか?

 

調和を図りたいと願ってきた自分を。
その調和…図れ切れましたか?

 

頑張りにも調和にも
この次元と星が滅亡するまで
完全性などありっこないという事です。

 

えー!つまんなーい!と思われた方は
「苦労」が実は趣味化している気配がございます。

 

苦労好きなど、早めに認識し
とっとと捨てましょう。
特に恋愛で成就やら、調和
私が変われば彼が変わる
もしくは、相手がわかってくれる系は、
散々な恋愛を繰り返します。

その、一連での負のルーティンに早々と気づきましょう。
悲惨な状況や、自分の想いとかけ離れている
「事態」に、色々諸々な「正当化」を取り入れていくと、確実に今世は正当化だけで終わる「男」や「女」や「人間」で終了の鐘が鳴り響くでしょう。
趣味を楽しむレベルならそれはそれで良いですが…
(邪魔するものでもありませんが)
辛くなかろうか?
胸に手を当てて感じてみてください。
大体のご本人様が、
趣味だと自覚していないケースがほとんどです。
無理強いはしません。
その、自分を取り巻く「キツさ」やら、
「不幸せ」今すぐチャラばいしたい方は、
賢い思考を巡らせる事をお勧め致します。

 

まあ、一概に自分の責任だけで、
この間違いの「道」に彷徨った訳ではありません。
カルマも関連はしています。

 

カルマは、罠ともいえますね。
7代先のソウルとDNA側の「踠き」
先祖からの精算仕切れていないバトンです。

 

こちらの世界で私たちが苦しめば苦しむ程、あちらの世界では完了されていない精算がされていきますので、皮肉な事ではありますが
先代たちの「想念」の残像は、
「喜び」となるのです。

 

イライラしますねー。
これが、僧侶に経を唱えて貰うより
1番の供養にもなるのです。

 

よく、私の前世での行いが悪かったから
カルマがあり過ぎるのか?
こういった質問を受けますが、答えはNOです。全く持って貴方は悪くない。
ただ、先代から期待を託された勇敢なカルマ処理のお当番なだけです。
これまた、イライラするでしょうが、
実力がある目ぼしい子孫にデッカいカルマは運ばれます。

 

先日、カルマダルマを行い
お一人お一人のヒトガタに
その間違えたカルマの解釈を解く
「印」を入れ、野焼きを致しました。

そりゃー、真面目で素直な苦労者が多くご参加されておりました。
人の死体も同じですが、焼いていく行程で、
首から焼け落ちるもの、腕から飛ぶもの、
飛ぶ方向も実は様々となります。
人の焼け落ちる姿を見ると生前の生き方のスタイルが判ると水野南北は言っております。

 

私もインドで、何体もの死体が焼けていく姿を眺めた事があります。
南北さんがおっしゃる通り、
焼けていく姿はそりゃー様々でありました。

 

ダルマも様々なやけ方をするのですよ。
禅宗では、良くダルマ焼きをしますが、
カルマの解釈を取り入れた儀式です。

だるまさんがころんだは、カルマを落とし
反転しろ。
「止まれ」は、瞬間を見よ。
そういった意味合いと、思い入れがある遊びとなります。

 

深いのです、カルマは。
供養をしたら、カルマが落ちる訳ではないですよ?
供養とは本来外に向かい行うものではありません。

 

人と共に養う

 

養うとは、だんだんに作り上げる、培うという意味です。
本来、供養とは己ありきで行うものです。
漢字をバラバラに崩した通りの意味を示しております。
まず、我意識の剥ぎ取りと修正が必要となります。
このダルマカルマのイベントは、
ある隣接次元から印を切ることにより、
人1人の意識に地味に角度替えを行います。

 

あれ?糞真面目に悩んだが馬鹿馬鹿しくなった。
あれ?力が抜けた。

 

そう変化が来た方は、私が送った「印」を
無意識にキャッチされています。
頑張らなくて良いです。
他力本願になってみるコツを掴んでくださいね。

 

では、定例イベントとなりました
カルマダルマカルマ、
ちょこっとしたCMを
不調和ソフトを用いてAVおーかわが作ってくれました。

 

他力本願にチャレンジしたい方は、
こちらより、
↓↓↓

http://www.reservestock.jp/events/178315
頑張るという集合意識から生まれた
言葉に引っかかり、悪戦苦闘されている方々を良く見ます。
頑張らなくて良い。
調和を掴もうとすると、
「頑張らなければならない精神」がどこかに付随している気配を感じませんか?

 

本日は、こんな事を思い
筆をとりました。
(筆じゃないか、キーボード)
yumezi

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